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World Heritage iwamiginzan TOMOGAURA

鞆ヶ浦

 石見銀山の本格的開発は大永7(1527)年 博多の商人 神屋寿禎に発見されたことからはじまると考えられています。当時博多を支配していたのは周防の大内氏で、中国の明との貿易を行うことの大名でした。鞆ヶ浦を含む馬路も大内の支配下であり、石見銀山の開発の始まりには大内につながりが大きく関係していたと考えられます。鞆ヶ浦は大内氏による石見銀山支配の中で、銀鉱石を博多まで送る港として発展してきました。